大中小の集い

「大中恩の小品を歌う集い」 https://ohnaka100.hp.peraichi.com/ の説明と関連の?読みものです

イベント決行への経緯

個人でこういったイベントをやろうと思うに至った流れについてまず書いてみます。(たぶん、長いです)

私は今年の6月で60歳、つまり還暦を迎えます。この年が大中先生の生誕100年と重なっていたことに驚いたことが、このイベントを興すまずは大きい理由になりました。

大中先生、と書くのは、私が18歳から19歳、1年と少しの間コール・Megの団員として歌っていたからです。コール・Megはかつて活動していた、大中恩作品だけを作曲者の指揮で歌うという合唱団で、後にメグめぐコールとして同様の活動を行なう団体の前身です。

中学2年の夏休み、友人に騙されて入った合唱部は、いろいろ思いつつ十分楽しくはあったものの、歌っている曲に関してはどうもピンと来ていませんでした。歌謡曲やらフォークやらで育ってきた自分にとっては、仰々しかったり格調高すぎたり、という具合だったのです。そんなわけで、中学を卒業したらもう合唱はいいかな、くらいのことを思っていた私を合唱の世界につなぎとめたのが、他ならぬ大中作品でした。

春から入る予定だった高校の合唱部が演奏会をやるから聴きに行こう、と誘ってくれたのも、私を騙したそ奴でしたし、その兄貴がその合唱部に居る、というのも何やら典型的なのですが、ともかくその演奏会で歌われた『風のいざない』という作品は私をまたたく間に魅了しました。こんな風にプライベートというかセンチメンタルというか、そういう歌が合唱でもあるんだ…。一緒の演奏会で歌われた『島よ』という曲は、ああやっぱりこういう曲もあるんだなあ、というくらいの印象でしたが、奴の兄貴が歌った最後のソロにはちょっとぐっときました。そして今度はその兄貴に籠絡されて合唱マニアの道を歩むことになるのですが…

その兄貴の話はまあ置いて、私は高校三年間を、合唱マニアかつほぼ大中恩マニアとして過ごしました。そしてその終わりには、もっと夢中になれる合唱を求めて、高校を卒業する前に『音楽の友』の募集広告を頼りに、一般の合唱団である「四季の会」に飛び込みました。この団体にたまたま、コール・Megとつながりのあるメンバーが居り、是非にと頼み込んであこがれのコール・Megに入団したのが18歳の初春でした。高校は卒業する直前だったのかな。その日に届いたコピーしたての手書き楽譜をいきなり歌ったのと、ちょうど前の年に歌っていたNHKコンクールの課題曲「水のうた」を一緒に歌い、感激したのを覚えています。

在団期間は1年と少しとは言っても、当時は月水金と週3回の練習に、OBとの合同練習も月に数回ある時期でしたし、そもそも練習と言うよりは「次はこの曲!」と号令がかかるやいなや、その曲が(知っている知らないに関わらず)テンション高く歌いはじめられるという、なかなかハードな団体でしたので、この短い期間にずいぶんな数の代表曲や新曲たちを体験しました。

コール・Meg(と四季の会)を退団したのは、このくらいの年頃にありがちな事情でしたが、ともかく退団と同時に別の合唱団、松原混声合唱団に入りました。これをきっかけとした様々な体験やら遍歴を通して、ますます深く合唱の森に分け入っていくことになります。

そしてショックだったのは、それまで日常として寄り添っていた大中作品なのに、まるっきりといっていいくらいに歌う機会が無くなったことでした。実際その後40年近く、いくつもの団体で何百曲という合唱曲を歌っている中に、大中恩の入ってくるスキマはほとんどなかったのです。コンクールの課題曲で「秋の女よ」を歌ったのと、もう平成も終わる頃に「風のうた」を歌ったくらいのものでした。

松原混声を退団し(今は復帰していますが)、入った団体の呑み会で、つい大中作品への思いを語ったあげく、いつか大中先生の小品だけでワン・ステージを組んでみたい、と口にしたら、その時はお前が選曲と指揮をすればいいよ、などという口約束があったりもしました。この果たされなかった口約束もまた、今回のイベントのきっかけなのでしょう。

大中先生は、Megの練習でしばしば、「僕は、島よとか風のうたばかりでなく、もっと沢山良い曲を書いてるつもりなんだけどなあ」のようなことを仰っていて、実際に自分が好きなのも、プライベートな思いや心の機微を可愛らしく歌う小品たちでした。そして、そうした作品たちはどうやら「ニーズがとても小さい」ということを思い知るのは、Megから離れてずっと先でした。

時は流れて、ある団体… いや、伏せる必要もないでしょう。相澤直人さん率いる「あい混声合唱団」の演奏会で、『島よ』全曲が演奏された際に、大中先生がレセプションまでおいでになり、挨拶をされる場に私は居合わせました。先生の仰ることは昔と同じでした。そしてその席で「いつか、掌に乗るような素敵な小品を書きたい」とも仰りました。

その後、友人の新聞記者に導かれて、メグめぐコールの練習にお邪魔する機会が訪れ、ますますかつて離れたこの集団、いや、大中作品への思いは改めて深まったのです。ほどなく2018年に大中先生は帰天されましたが、それからますます私の中には「かつて離れてしまったあの世界」に向ける思いが強まっていきました。

現在じわじわと広がっている大中恩生誕100周年イベント、「大中作品の花を咲かせよう!プロジェクト」(略称「花プロ」)の話を聞いた時も、何かの形で参加したい、と強く思いましたが、私には、自分のこのプライベートな思いを十分に託せる合唱団がありません。それでも、外国語ポップス専門の団体や、少人数の集いで大中作品を歌ってもらったり、という時間は作ってもらっていました。

そんな中、カワイ出版からいくつものアニバーサリー出版物が出る、という話が聞こえてきました。内容的にも、自分の思いと重なる点が多くあるものでした。これを音として、沢山の人と囲む時間を何とか作りたい。悩んだあげくにたどり着いたのは、自分の還暦を自ら祝うイベントとしてなら、その時間を作ることはできないだろうか、ということでした。

これまでに何人かの「還暦イベント」に参加し、その空気感はとても好きでした。祝ってもらう人そのものよりも、祝う周りの人たちが嬉しそうに参加する空間。私のセルフ・アニバーサリーと、大中先生のアニバーサリーを重ねることで、私のごとき存在にも、少しだけあの「嬉しそう」が作り出せるかも知れない。そうできたら。

そんな思いで、若干無謀だけれど、めったなことでは起こらない内容であろうこのイベントを主催することを決めました。大中恩作品が好きな人、知らないけど興味がある人、佐々木潤哉のやることなら冷やかしてやろうという人、そんな皆さんにとって、意義ある一日を頑張って作りたいと思います。どうか、応援に来ていただければ幸いです。

(ああ、やはりとんでもなく長くなってしまった…)