大中小の集い

「大中恩の小品を歌う集い」 https://ohnaka100.hp.peraichi.com/ の説明と関連の?読みものです

余談:『風のいざない』と『島よ』

私と大中恩作品との出会いは15歳の冬、『風のいざない』と『島よ』の2作品でした。今回のイベントでは“小品”を看板にうたっていますが、私にとって大中恩への入口であり出口でもあったことから、この2作には特別な思いが生まれました。特にイベントと関係ある内容でもないのですが、この2作のことをちょっと書いてみたくなりました。まとまりのない一文です。

1979年春から入る予定の都立高校コーラス部。その、3月に行われた演奏会のプログラムの最初と最後に歌われたのがこの2曲でした。ルビも無く載っていた作曲者の名前を、何と読むのだろう? と思ったことを覚えています。さすがに「ダイチュウオン」とは読みませんでしたが…

演奏会冒頭に歌われた『風のいざない』は私を一聴で魅了したのですが、理由はと言えば、その頃私が好んで聴いていた、女性歌謡フォーク的な色合いがあったことだと思います。特に蓮月マリさんの詩にそうした色が強い。「手袋しないででかけたら 急に冷たい風が吹いてきたの おうちが恋しくなっちゃった」なんて言葉を、少なくともその時点まで合唱では聴いたことがなかったので、ガツンとやられてしまったのですね。

同じくらい好きな作品『愛ゆえに』は土田藍、つまり大中先生の作詩ですが、女性言葉で書かれていても、何となく“歌曲”的なニュアンスがある。蓮月さんの詩は、もっとプライベートでパーソナルな女性世界から語られていて、そこに15歳の私(いや、今もかな…)は強く共振したのです。そして、大中作品の小品群には、こういうものが多いですし、大中先生自身もそういう作品をとても大事にしておられた。私の在籍中にもしょっちゅう歌っていた『水絵のなか』という作品がありますが、阪田寛夫さんの詩によるこの作品にも、なんとも「大向こうに向けられたもの」とは隔絶した、小さな光景への共鳴がありました。そして、この作品の“主人公”も、名も無い(通りすがりの)女性の姿でした。

一方で、『島よ』という作品は、そのドラマティックな性格もあって、大中恩の代表作としてまず挙げられるものですが、これは分かりやすく、あの頃の男性的な世界観を歌っています。今のご時世には孤独な人間の、というべきでしょうけれど。

そして、この作品を大中先生が演奏されると、長めの小品、とでもいうべき色合いになったものでした。『煉瓦色の街』や『駅にて』と同系統に並ぶ感じというのか。おそらく、組曲とか楽章とかいうイメージでは書かれていないのだな、と何度も思ったものです。(キングレコードからCD化された音源では、1トラックで収録されており、さすが拘っているな、と思いました)

福永陽一郎さんが録音されたレコードでは、この作品のドラマティックな面、「組曲」的な面が強調されて、この作品のもうひとつの顔を見事に描いていました。そうした演奏姿勢を福永さんはライナーノーツに“自画像と肖像画”と例えていましたが、なるほど大中恩は“肖像画作家”ではなかったのだな、と思います。絵で言えば自画像、文章で言えばエッセイ。そのスタンスから生まれた“作詞家”が土田藍、だったのでしょうか。

本年7月に、メグめぐコールと相澤直人さんによって行なわれる演奏会で歌われる組曲もこの2作ですが、これはおそらく、相澤さんと大中先生のもっとも強いつながりが『島よ』であったことだけではなく、大中先生が生前最後に関わった演奏会のプログラムがこの2作品であったことも関係しているのかなと思っています。

今時こういう言い方もどうかな、と思いつつ書くのですが、「女性的」と「男性的」の両極のような2作品を演奏会の二つの柱にする、というスタイルが、なんとも大中恩的だったなあと思うのです。残念ながら、前述の演奏会で大中先生は『島よ』を指揮することは叶いませんでしたが。

私が最初に聴いた高校の(そして、私の出自ともなった)合唱団は、そういうことをどのくらい意識していたのでしょう。そういえば、NHKコンクール高校の部の課題曲2曲も、「女性的」と「男性的」のペアになっているような…。

ところで、この2作品にはひとつ面白い共通点があるのです。どちらの作品にも、「私」という言葉がたった一度だけ出てくる、というもの。『島よ』の最後「私ではないのか」というソロは非常に印象的ですが、「あなた」だらけの曲ともいえる『風のいざない』ではどこに出てくるでしょう? いまや全曲を聴ける機会も限られているこの作品、めぐメグコールの演奏会に行かれる方へのお楽しみですね。めぐメグコール演奏会は7月20日土曜日、昼の14時より四ツ谷紀尾井ホールで行われます。