大中小の集い

「大中恩の小品を歌う集い」 https://ohnaka100.hp.peraichi.com/ の説明と関連の?読みものです

「北廻船」を歌う特別合唱団!

噂には聞かされていたのですが、情報がアップされましたのでここにもリンクを掲載しておきます。

https://twitter.com/michaelmaechin/status/1759260194872381480?t=dHJPBYLLLJUC84PKAyB2JQ&s=19

福井か…。行けないかな…。スケジューラーには書き込んでおこう。

 

『北廻船』という作品、個人的には大中作品の中で12を争うくらい好きです。シリアスになり過ぎず、ある種の優しさやとぼけた味と力のこもった音楽が同居するあたり、阪田寛夫さんとの共同作品ならではだと思います。

東京でも演奏会とは言わないまでも、練習会くらいやってくれたりしませんかねえ。

音取りツールのご紹介

さてこのイベント、これだけの曲からなるべくたくさん歌いたい、ということで、パート毎の音取りのような時間は作れないのですが、自分で音取りは苦手とか、そもそも曲の雰囲気は知りたい、と言う方は多いことでしょう。かくいう私も、歌の初見こそコール・Megでしっかり鍛えられましたが、ピアノパートについてはお手上げに近いのです。

そんなかた(ただしスマホorタブレットユーザー限定)にお勧めなのが、「PlayScore2」というアプリ。楽譜(出版譜)をカメラで撮影するだけで、ピアノパートまで含め、かなりの精度のMIDI音源を作成してくれます。iOS版は日本語化されていますが、Android版はリリース直後で英語版のみ。それでも雰囲気を掴んだり音取り程度なら、手探りでも使えると思います。

無料版の状態では1ページしか再生・保存できない(Android)など制限がありますが、まずは何かの曲でいろいろ試してみて、使い物になると判断したら、何らかの形でサブスクリプションすることをお勧めします。私は合唱曲を何曲か試しただけで、かなり複雑な楽譜でも十分実用になると実感し、即座に年間サブスクリプションを申し込みました。月間・年間などいくつかのオプションがあり、サブスクリプションを申し込むと、複数(連続)ページの再生やMIDIなどでの出力が可能になります。

 

私のようにピアノが苦手な歌い手には特に便利なツールだと思いますので、今回のイベントに限らず、ぜひ試してみてください!

 

 

 

 

【重要】情報サイトを開設しました

まだ時期も早いですし、会場など検討中のこともあるのですが…。こういうイベントをやるのが初めてのこともあり、スタッフの意見を取り入れて「ここだけ見とけばOK」のサイトを作りました。凝ったものではなく、リンク集くらいの内容です。

ちょっとした情報収集も兼ねて、参加申し込みのフォームも作成しました。参加規模など全く見当がつかないこともありまして、ひとまず興味のあるかたは気軽に申し込んでいただけると嬉しいです。

スタッフや参加者に何か伝えたいことがあるかたは、今となっては懐かしい掲示板も合わせてご利用ください。

 

大中恩の小品を歌う集い」特設サイト

https://ohnaka100.hp.peraichi.com/

余談:『風のいざない』と『島よ』

私と大中恩作品との出会いは15歳の冬、『風のいざない』と『島よ』の2作品でした。今回のイベントでは“小品”を看板にうたっていますが、私にとって大中恩への入口であり出口でもあったことから、この2作には特別な思いが生まれました。特にイベントと関係ある内容でもないのですが、この2作のことをちょっと書いてみたくなりました。まとまりのない一文です。

1979年春から入る予定の都立高校コーラス部。その、3月に行われた演奏会のプログラムの最初と最後に歌われたのがこの2曲でした。ルビも無く載っていた作曲者の名前を、何と読むのだろう? と思ったことを覚えています。さすがに「ダイチュウオン」とは読みませんでしたが…

演奏会冒頭に歌われた『風のいざない』は私を一聴で魅了したのですが、理由はと言えば、その頃私が好んで聴いていた、女性歌謡フォーク的な色合いがあったことだと思います。特に蓮月マリさんの詩にそうした色が強い。「手袋しないででかけたら 急に冷たい風が吹いてきたの おうちが恋しくなっちゃった」なんて言葉を、少なくともその時点まで合唱では聴いたことがなかったので、ガツンとやられてしまったのですね。

同じくらい好きな作品『愛ゆえに』は土田藍、つまり大中先生の作詩ですが、女性言葉で書かれていても、何となく“歌曲”的なニュアンスがある。蓮月さんの詩は、もっとプライベートでパーソナルな女性世界から語られていて、そこに15歳の私(いや、今もかな…)は強く共振したのです。そして、大中作品の小品群には、こういうものが多いですし、大中先生自身もそういう作品をとても大事にしておられた。私の在籍中にもしょっちゅう歌っていた『水絵のなか』という作品がありますが、阪田寛夫さんの詩によるこの作品にも、なんとも「大向こうに向けられたもの」とは隔絶した、小さな光景への共鳴がありました。そして、この作品の“主人公”も、名も無い(通りすがりの)女性の姿でした。

一方で、『島よ』という作品は、そのドラマティックな性格もあって、大中恩の代表作としてまず挙げられるものですが、これは分かりやすく、あの頃の男性的な世界観を歌っています。今のご時世には孤独な人間の、というべきでしょうけれど。

そして、この作品を大中先生が演奏されると、長めの小品、とでもいうべき色合いになったものでした。『煉瓦色の街』や『駅にて』と同系統に並ぶ感じというのか。おそらく、組曲とか楽章とかいうイメージでは書かれていないのだな、と何度も思ったものです。(キングレコードからCD化された音源では、1トラックで収録されており、さすが拘っているな、と思いました)

福永陽一郎さんが録音されたレコードでは、この作品のドラマティックな面、「組曲」的な面が強調されて、この作品のもうひとつの顔を見事に描いていました。そうした演奏姿勢を福永さんはライナーノーツに“自画像と肖像画”と例えていましたが、なるほど大中恩は“肖像画作家”ではなかったのだな、と思います。絵で言えば自画像、文章で言えばエッセイ。そのスタンスから生まれた“作詞家”が土田藍、だったのでしょうか。

本年7月に、メグめぐコールと相澤直人さんによって行なわれる演奏会で歌われる組曲もこの2作ですが、これはおそらく、相澤さんと大中先生のもっとも強いつながりが『島よ』であったことだけではなく、大中先生が生前最後に関わった演奏会のプログラムがこの2作品であったことも関係しているのかなと思っています。

今時こういう言い方もどうかな、と思いつつ書くのですが、「女性的」と「男性的」の両極のような2作品を演奏会の二つの柱にする、というスタイルが、なんとも大中恩的だったなあと思うのです。残念ながら、前述の演奏会で大中先生は『島よ』を指揮することは叶いませんでしたが。

私が最初に聴いた高校の(そして、私の出自ともなった)合唱団は、そういうことをどのくらい意識していたのでしょう。そういえば、NHKコンクール高校の部の課題曲2曲も、「女性的」と「男性的」のペアになっているような…。

ところで、この2作品にはひとつ面白い共通点があるのです。どちらの作品にも、「私」という言葉がたった一度だけ出てくる、というもの。『島よ』の最後「私ではないのか」というソロは非常に印象的ですが、「あなた」だらけの曲ともいえる『風のいざない』ではどこに出てくるでしょう? いまや全曲を聴ける機会も限られているこの作品、めぐメグコールの演奏会に行かれる方へのお楽しみですね。めぐメグコール演奏会は7月20日土曜日、昼の14時より四ツ谷紀尾井ホールで行われます。

 

 

 

 

 

 

 

協力者たち、そしていろいろなご縁

ところで、今回のイベント開催に踏み切れたのは、実のところまったくもって周りの人々のおかげなのです。

2年くらい前から、実はこんなことやりたいんだけどねえ… でもなあ… と方々で酒を飲むたび言うだけ言って煮え切らないこと夥しい私にとうとう業を煮やして、強力な顔ぶれを連れてきたから覚悟を決めやがれ、と言ってくれたのは、数年来の友人であり、毎日新聞の名物?記者である小国綾子さん。大中先生を取り巻き続けている人たちと私をもう一度繋いでくれたのも彼女でした。

そして、そこに巻き込まれてくれたのが、かれこれ長い付き合いになった合唱団、ひぐらしのアルトを支えるお二人、小野田光子さんと田中綾子さん。E.S.P.の常連でもあり、合唱団やイベントの運営経験豊富なお二人に「さてどうしましょう」と囲まれるに至って、ようやく覚悟が決まった矢先に、不思議な偶然が起こりました。

大中恩生誕100年プロジェクト『全国で咲かせよう 「大中恩」作品の花』(通称“花プロ”)の副実行委員を務めている、福井テレビ報道部の前川佳之さんが用事で東京に来るため、できれば会いたい、というお話があったのです。ツイッターなどではもちろんお名前を拝見しており、どうやら同い年らしいなと思っていた彼とのご縁は、彼が合唱団ひぐらしに訪問していただく形で繋がりました。

ひぐらしでの熱いプロジェクト紹介を聞いた私はその場で「私も6月に、大中先生のイベントをやります!」と口走っていました。まだ場所も何も決まっていないのに。しかももう半年を切っているというのに。

こりゃ、まずは付き合ってくれるピアニストを見つけなくては、と思ったときに、最初に頭に浮かんだのは清水史さんでした。師匠と呼んでも差し支えないほどの付き合いになる合唱指揮者、清水敬一さんの娘さん。3歳の頃から知っていて、いまや引く手数多の名ピアニスト。私のキャラをよく知る彼女なら、多少の無理難題も引き受けてくれるでしょう(ぉぃ)。しかし今からスケジュールは… と半ば諦めつつ連絡を取ってみたら、なんと6月30日なら空いているとのこと。どうやら風向きは悪くないようです。

即お付き合いをお願いして、会場探しに移ります。しかし案の定、ここは、という場所は全滅。公民館のような施設はまだ予約が始まっていない状態。ほうぼう当たっていく中で、最後に当てになったのはやはりひぐらしとの縁。この団体が時々練習場に使っていた会場、ステーションスタジオ幡ヶ谷がまだ空いていたのです。都内からのアクセスは上等、グランドピアノもある。もう音響とか細かいことを言っている場合ではありません。…とはいえ、なるべく経費を抑える面では、3ヶ月前抽選のいくつかの会場も魅力的なのですが…(ここはまだちょっと諦めてません…)

 

と様々な人の名前を並べてきてみれば、思い出したもうお二方。昨年の10月に、小田原帰りのロマンスカーで同じような話(これは、小田原の合唱団で“花プロ”に参加できないかなあ、という話でしたが)をしていた時に、どうもカワイ出版さんがアニバーサリーの出版プロジェクトをするらしいですよ、と教えてくれたのが、前述した田中綾子さんの旦那様 …という言い方は変ですね。人気作曲家の田中達也さん。それはいいねえと同調してくれたのが歌人で合唱指揮者の栗原寛さん。こうした話、周囲に同調してくれる人が居るというのは嬉しいもので、このお二人もまた、このイベントの地下水として存在してくれていたのでした。

 

今回歌う予定の「水のうた」は、私と前川さんが高校3年の時に歌ったNコン課題曲ですが、その歌詞のごとくこのイベントは「走り出」したのです。

今回取り上げる曲たちのこと

せっかく立ち上げたブログなので、今回ご用意いただく曲について、自由に書いてみました。知らない曲、よくご存じの曲、それぞれに私からみた風景をお楽しみいただければと思います。

わたりどり

大中恩混声合唱曲として最も古いもののひとつ。短い小品ながら、ハーモニーの進行や跳躍の多いメロディが意外に難しく、伸び伸びと歌うのは大変だったりします。コール・Megやメグめぐコールの演奏会では、この曲がピアノ伴奏に乗って毎回オープニングとして歌われていましたので、今回のイベントでも同じように最初に歌います。キーの異なる二部合唱版(キーはGです)も合わせて取り上げますので、味わいの違いをお楽しみください。ちなみに、無伴奏のオリジナルはBbですが、ピアノ伴奏版は半音低いAのキーで歌われます。

草原の別れ

2022年度の全日本合唱コンクール課題曲として多くの団体に歌われた作品。作詞の阪田寛夫大中恩のいとこであり、二人で「おさの会」という創作ユニットとしても活躍していました。そうしたコンビならではの「曲先」の作品ですが、先に詩が出来ているのと比べて美しく格調高い言葉が並んでいるのを作曲者は面白がっていたようです。無伴奏で演奏される場合がほとんどですが、今回はピアノ伴奏付きでお楽しみいただきます。

旅に出よう

1976年、NHK全国学校音楽コンクール高校の部課題曲として作曲されました。吉原幸子による書き下ろしの詩と、大中恩ならではのセンチメンタルな音楽性が見事に溶け合った作品で、約3分の短い時間の中をさまざまな光景が通り過ぎていきます。コンクールという場を離れても、小品を愛する大中恩のセンスが美しく現れた作品のひとつだと思っています。

水のうた

1982年、同じく「Nコン」高校の部課題曲として多くの高校生に歌われました。叙情性の強い前作に比べ、こちらの曲は「溌剌」という言葉を想起させられる内容です。前作のイメージが女子高校生のポエジーなら、こちらは男子高校生の秘められた可能性という感じでしょうか。高校生たちが一生懸命歌ってくれる姿を想像しながら書いた作曲者の思いが伝わってくるようです。合唱のフィールドでは「筑後川」などで知られる丸山豊が作詩しています。

かたつむりのうた

1972年、こちらは同じ「Nコン」でも、中学校の部の課題曲(混声三部)として書かれました。阪田寛夫の独特なペーソスをたっぷり含む言葉に、このコンビの作品に多い付点リズムが味わい深く寄り添います。今となっては、こうした内容を中学生たちが歌う姿を想像するのもいとをかし、というところがありますね。余談ながら、この曲集の中で唯一私が知らなかった曲です。

朝ゆえに

谷川俊太郎の詩による1977年作品。多くの名小品群が生まれた時期の作品で、それゆえの充実感、そして簡潔さを感じさせます。冒頭のアルト・テノール2声によるテーマは、アルトとテノールの調和を大事にしていた大中恩らしい一節だと思います。短い時間のなかに錯綜し移りゆく思いと光景、そんなものが浮かんでくればいいなと思うのです。

晝下がりのジョージ

この作品は、ぜひ楽譜の歌詞ページを最初に見ていただきたい。もう完全に阪田流のワルノリ言葉遊びの世界なのですが、そこに何するものぞと立ち向かう作曲者の音楽を「おもしろが」り、それを外へと伝えることがこの作品の真骨頂を生み出すのです。この曲を松田トシさん(「うたのおばさん」という番組をご存じの方は今日ここにいないかも知れません…)の前で披露したときに、松田さんが思わず吹き出して「…丈夫な情婦って…笑」と笑いながら仰った時の大中先生の得意そうな顔は、私にとって忘れられない一コマです。

じゃあね

大中恩小品の中でも、とりわけ人気のある一曲。「土田藍」名義(大中恩の作詩者としての変名です)による作品群を除けば、もっともセンチメンタルな作品のひとつです。今回のエディションでは中間部のメロディがソプラノパートに振られていますが、多くの人には男声のソロとして耳馴染みなのではないでしょうか。この変更に伴い、「さよならよりもさりげなく」の部分が、歌詞付きの四部合唱になっているのも興味深い点です。

サッちゃん/おなかのへるうた

説明不要と申しましょうか。阪田・大中コンビによる“こどものうた”の2大名作です。この二部合唱版は音域も狭いので、いろんな混ぜ方や編成で歌ってみるのが楽しそうですね。

わたりどり(二部合唱版)

この編曲も、誰にも歌いやすい音域による二部合唱になっています。男声パートのみなさんは、この機会にぜひメロディにも挑戦していただき、この曲の知らなかった魅力に近づいていただきたいです。

九月

またまた「おさの会」コンビによる付点バラード。秋は恋人たちの季節、という古くも不朽のテーマを、このお二人ならではの味わいでさらりと聞かせます。歌う側は歌詞を追いかけるのが結構大変という噂も。2001年の作品。本作品も私はこの楽譜で初めて知りました。

かなしくなったときは

大中歌曲の世界では、寺山修司作品の比率は意外と高いのです。その中でも指折りの一曲がこちら。オリジナルは歌曲版ですが、この二重唱はとてもドラマティックで良いのです。今回は合唱として取り上げますが、ぜひお相手を見つけて、メゾソプラノバリトンの二重唱で歌ってみていただきたい作品です。

きみ歌えよ

今どきは信長貴富さんの合唱曲が有名ですが、大中恩の「きみ歌えよ」もいいよね、と思っていただきたい一曲。谷川俊太郎によるシンプルな詩がストレートに口から出てくる、歌ってスッキリの作品です。歌曲版、混声4部合唱版もあります。

無伴奏の四つのうた
わたりどり/そよ風/別れみち/花のある杜

まとめて歌われる機会はあまりない四作品で、一曲目の「わたりどり」が中でも良く知られていますが、それぞれ初期作品らしい小ぶりな味に満ちています。中でも「花のある杜」は作曲者お気に入りの作品として知られています。

ピアノ伴奏の五つのうた
海の若者/秋の女よ/花笛/沼/別れの歌

これも2曲目の「秋の女よ」がよく知られた作品で、全日本合唱コンクールの課題曲として歌われたこともありますが、ソロ泣かせの一曲でもあるのですね…。私はテノールによるソロが好きです。どの曲もコール・Megの十八番と言える作品たちで、短い中でのテンポ変化の味わいをとても素敵に聴かせていたのが思い出されます。

イベント決行への経緯

個人でこういったイベントをやろうと思うに至った流れについてまず書いてみます。(たぶん、長いです)

私は今年の6月で60歳、つまり還暦を迎えます。この年が大中先生の生誕100年と重なっていたことに驚いたことが、このイベントを興すまずは大きい理由になりました。

大中先生、と書くのは、私が18歳から19歳、1年と少しの間コール・Megの団員として歌っていたからです。コール・Megはかつて活動していた、大中恩作品だけを作曲者の指揮で歌うという合唱団で、後にメグめぐコールとして同様の活動を行なう団体の前身です。

中学2年の夏休み、友人に騙されて入った合唱部は、いろいろ思いつつ十分楽しくはあったものの、歌っている曲に関してはどうもピンと来ていませんでした。歌謡曲やらフォークやらで育ってきた自分にとっては、仰々しかったり格調高すぎたり、という具合だったのです。そんなわけで、中学を卒業したらもう合唱はいいかな、くらいのことを思っていた私を合唱の世界につなぎとめたのが、他ならぬ大中作品でした。

春から入る予定だった高校の合唱部が演奏会をやるから聴きに行こう、と誘ってくれたのも、私を騙したそ奴でしたし、その兄貴がその合唱部に居る、というのも何やら典型的なのですが、ともかくその演奏会で歌われた『風のいざない』という作品は私をまたたく間に魅了しました。こんな風にプライベートというかセンチメンタルというか、そういう歌が合唱でもあるんだ…。一緒の演奏会で歌われた『島よ』という曲は、ああやっぱりこういう曲もあるんだなあ、というくらいの印象でしたが、奴の兄貴が歌った最後のソロにはちょっとぐっときました。そして今度はその兄貴に籠絡されて合唱マニアの道を歩むことになるのですが…

その兄貴の話はまあ置いて、私は高校三年間を、合唱マニアかつほぼ大中恩マニアとして過ごしました。そしてその終わりには、もっと夢中になれる合唱を求めて、高校を卒業する前に『音楽の友』の募集広告を頼りに、一般の合唱団である「四季の会」に飛び込みました。この団体にたまたま、コール・Megとつながりのあるメンバーが居り、是非にと頼み込んであこがれのコール・Megに入団したのが18歳の初春でした。高校は卒業する直前だったのかな。その日に届いたコピーしたての手書き楽譜をいきなり歌ったのと、ちょうど前の年に歌っていたNHKコンクールの課題曲「水のうた」を一緒に歌い、感激したのを覚えています。

在団期間は1年と少しとは言っても、当時は月水金と週3回の練習に、OBとの合同練習も月に数回ある時期でしたし、そもそも練習と言うよりは「次はこの曲!」と号令がかかるやいなや、その曲が(知っている知らないに関わらず)テンション高く歌いはじめられるという、なかなかハードな団体でしたので、この短い期間にずいぶんな数の代表曲や新曲たちを体験しました。

コール・Meg(と四季の会)を退団したのは、このくらいの年頃にありがちな事情でしたが、ともかく退団と同時に別の合唱団、松原混声合唱団に入りました。これをきっかけとした様々な体験やら遍歴を通して、ますます深く合唱の森に分け入っていくことになります。

そしてショックだったのは、それまで日常として寄り添っていた大中作品なのに、まるっきりといっていいくらいに歌う機会が無くなったことでした。実際その後40年近く、いくつもの団体で何百曲という合唱曲を歌っている中に、大中恩の入ってくるスキマはほとんどなかったのです。コンクールの課題曲で「秋の女よ」を歌ったのと、もう平成も終わる頃に「風のうた」を歌ったくらいのものでした。

松原混声を退団し(今は復帰していますが)、入った団体の呑み会で、つい大中作品への思いを語ったあげく、いつか大中先生の小品だけでワン・ステージを組んでみたい、と口にしたら、その時はお前が選曲と指揮をすればいいよ、などという口約束があったりもしました。この果たされなかった口約束もまた、今回のイベントのきっかけなのでしょう。

大中先生は、Megの練習でしばしば、「僕は、島よとか風のうたばかりでなく、もっと沢山良い曲を書いてるつもりなんだけどなあ」のようなことを仰っていて、実際に自分が好きなのも、プライベートな思いや心の機微を可愛らしく歌う小品たちでした。そして、そうした作品たちはどうやら「ニーズがとても小さい」ということを思い知るのは、Megから離れてずっと先でした。

時は流れて、ある団体… いや、伏せる必要もないでしょう。相澤直人さん率いる「あい混声合唱団」の演奏会で、『島よ』全曲が演奏された際に、大中先生がレセプションまでおいでになり、挨拶をされる場に私は居合わせました。先生の仰ることは昔と同じでした。そしてその席で「いつか、掌に乗るような素敵な小品を書きたい」とも仰りました。

その後、友人の新聞記者に導かれて、メグめぐコールの練習にお邪魔する機会が訪れ、ますますかつて離れたこの集団、いや、大中作品への思いは改めて深まったのです。ほどなく2018年に大中先生は帰天されましたが、それからますます私の中には「かつて離れてしまったあの世界」に向ける思いが強まっていきました。

現在じわじわと広がっている大中恩生誕100周年イベント、「大中作品の花を咲かせよう!プロジェクト」(略称「花プロ」)の話を聞いた時も、何かの形で参加したい、と強く思いましたが、私には、自分のこのプライベートな思いを十分に託せる合唱団がありません。それでも、外国語ポップス専門の団体や、少人数の集いで大中作品を歌ってもらったり、という時間は作ってもらっていました。

そんな中、カワイ出版からいくつものアニバーサリー出版物が出る、という話が聞こえてきました。内容的にも、自分の思いと重なる点が多くあるものでした。これを音として、沢山の人と囲む時間を何とか作りたい。悩んだあげくにたどり着いたのは、自分の還暦を自ら祝うイベントとしてなら、その時間を作ることはできないだろうか、ということでした。

これまでに何人かの「還暦イベント」に参加し、その空気感はとても好きでした。祝ってもらう人そのものよりも、祝う周りの人たちが嬉しそうに参加する空間。私のセルフ・アニバーサリーと、大中先生のアニバーサリーを重ねることで、私のごとき存在にも、少しだけあの「嬉しそう」が作り出せるかも知れない。そうできたら。

そんな思いで、若干無謀だけれど、めったなことでは起こらない内容であろうこのイベントを主催することを決めました。大中恩作品が好きな人、知らないけど興味がある人、佐々木潤哉のやることなら冷やかしてやろうという人、そんな皆さんにとって、意義ある一日を頑張って作りたいと思います。どうか、応援に来ていただければ幸いです。

(ああ、やはりとんでもなく長くなってしまった…)